Giorgio de Chirico : 温故知新?
ちなみに私の中でキリコといったらこの人です。
そして一回目のタイトルのキリコさんのスペル間違っていました。
正しくはGiorgio de Chiricoです。すみません。
さて前回から続いてのジョルジョ・デ・キリコですが、彼は「形而上絵画」で有名になったものの、30代になるとルネサンス時代の芸術、古典主義の作品を模写し始めます。
古典主義というのは、ギリシャ・ローマの時代の文化最高!それが何もかもの始まりで模範すべきものだわさ!と支持することで、そのときに描かれた均衡のとれた、もしくは調整された姿を理想としています。
そのきっかけは31歳のときにローマの美術館にてルネサンスの巨匠ティッツィアーノの作品を見て感銘を受けたことでした。
ティッツィアーノ<ウルビーノのヴィーナス>1538年
ちなみに今(4月現在)国立新美術館で開催されているルーブル美術館展でもティッツィアーノの作品を見ることができます。
もともとキリコの作品は評価されていたのに何でいきなり昔に戻るようなことをしたんでしょうね。
前回も書きましたが、その時代背景として、ピカソを始めとする多くの芸術家たちが新しい芸術活動を生み出そうと必死になっているし、追い風も吹いていたはずなんです。
ただ気になったのは、多くの人が時代を動かそうとする中、ピカソのように不安に追い詰められ、自身の芸術活動がにっちもさっちもいかなくなったとき、人はどうするのだろうと。
おそらく、自身の固有の何かを見つけようと錯綜するのでしょうが、どのように自分を見つめ返すのだろうと。
自分自身のこれまでの活動の軌跡も追うだろうし、目の前にある作品に自分の在り方を見つめるでしょう。
そんなとき、キリコ自身はティッツィアーノの作品を見て、それこそ写実的だけれども人間の美しいところを取り出したような均整のとれた像を見て、自身の技術的な弱さに気付いたのではないでしょうか。
the妄想です。
<Love Song> 1914
アポロ像
こちらは形而上絵画に属するものです。
よくキリコは画面の中にギリシャ彫刻をモチーフとして入れているんですが、アポロ像と見比べるとなんかコミカルだと思いませんか?
顔が若干つぶれてますし。
ついでに後ろの雲とレンガと影になった建物も可愛いくらいにマリオの第一ステージを想起させます。
枠線が明確というのも一つの要因かと思われますが。
あくまでも客観的な意見として、上手い・下手ではなくて、古典主義のものをモチーフに組み込んでいるにも関わらず、実際にその時代の作品と対峙させたときに描き方に違いがありすぎるのです。
そこは正直、「形而上絵画」と「古典主義絵画」の求めているものが異なるからという線引きによって一蹴されるべきかもしれませんが、
キリコ自身引っかかるところがあったのではないでしょうか。
古典主義回帰の時代の作品<Self Portrait with his mother>
彼が古典主義に回帰した理由として他に、以下が挙げられています。
当時絵画を評価する側の人間は(ピカソのときもそうだったように)一部のブルジョワでしかなく、その世界は限定的なものでした。その中で多くの芸術がひしめき合って生まれていく中、奇を衒ったキリコのような作品は一過性の流行と捉えられ、キリコとしても画家として長く生きながらえる以上、是とする古典主義に倣い、「永く評価される」作品制作に着手したという説。
古典主義の巨匠の作品で精錬された筆遣いによる像の表現を見て、キリコは自身の思想で描いていた「形而上絵画」があくまでも対象のイメージだけをキャプチャーしていたことに気付き、古典主義の作品から技術を学ぶと同時に自身の作品との融合を図って、新しい芸術活動を目指したという説。
また、時代的な背景を捉えて、第一次世界大戦時、愛国心が盛り上がっている中で芸術の中心でもあるパリのモダニズムに反発し、ルネサンス時代の古典主義に倣い、新しい古典主義を創ろうとしていたという説。(キリコ自身がイタリアで従軍経験をもっていることも裏付けとして説を支えています)
そう、もうお気づきかと思われますが、実際その古典主義への回帰の理由は明確にわかっておらず!諸説が飛び交っております。
分かっているのは、形而上絵画→古典主義への回帰→ネオバロック時代→形而上絵画という制作の流れだけです。
そしてキリコの古典主義の作品に対しての評価もばらばら。
それこそ下手、上手の両極端な評価がネット上でも交錯しています。
ならば私の妄想も参戦しようではないかと!
このブログを書くにあたって古典主義回帰の時代の作品をピックアップしていたつもりだったんですが、実はそれはネオバロックの時代だったり後の形而上絵画だったり・・・
分析目の弱い私にとってその作品がどこの時代に則しているのか全く判別がつかなかったのです泣
古典主義回帰の時代<Horses> 1928年
よくわからんでしょう。
とあるブログで、キリコの作品は「形而上絵画」と「非・形而上絵画」で分ければいいじゃんとありましたが、ちょっと納得してしまいました。
それで考えてみたんですが、
彼の描くものにはギリシャ・ローマ時代のモチーフ(建築だったり登場人物だったり馬だったり)が登場しており、それが彼の作品のアイデンティティーを支えているように思われます。
そしてそれこそが、1910年代に評価された「形而上絵画」から様式が変われど制作され続けられてきた彼の作品群に唯一共通していることであり、そもそもの「形而上絵画」に求められる「形のないもの」「超自然的なもの」を表現していたのではないでしょうか。
先に私はキリコの古典主義への回帰は彼の技術的な補填のためと書きましたが、その考えは変わっておりません。
古典主義への回帰も、ネオバロック時代もキリコが描いていたものは「形而上絵画」の一端であり、その表現方法を前時代的なものも取り入れただけではないだろうかと考えているのです。
長くなってしまったのでこの続きは次回にいきます!
ここから妄想がノンストップです。