PABLO PICASSO HIS WILL and THEIR ENERGY
といいたいところですが、昔の自分のレポートを読んでいて色々考えさせられるところがあったので、それをまとめたいと思います。
最初のほうと最後のほうのテンションの違いは、徐々に修正を図りたいと思います。
改めて「キュビズム」の始まりですが、その活動の名前も
「あいつら芸術とかぬかしながら結局立方体(キューブ)描いてるだけじゃねーか!」
と酷評され、周りから「キュビズムwwwwwww」といわれ、自然についてしまっただけ。
活動の中心であったピカソやジョルジュ・ブラックは一言も「キューブ」なんて言ったことなかったんですよね。
さて、そんなキュビズムですが、正直、活動の原点でもある議論を重ねていくための重要なパートナーであったブラックも「アヴィニョンの娘たち」を見たときに、
「これはまるで麻を食べるか石油を述べといっているようなものだ」と戸惑ってしまったくらい。
正直これまでの概念や価値観とは全く異なるものだったので、慣れ親しんだ友人ほど「ああ、こいつ狂ったな」くらい考えても当然だと思います。
ただ、思考力が高かったブラックはピカソ自身がやろうとしていることの革新性を認め、共に活動に打ち込み始めます。
2人は議論を繰り返し、芸術が次の段階へ進むために必要な論理、理由を研究し、そしてそれを自分たちの中でしっかりと理解するために作品を制作していったのです。
ただ、<分析的キュビズム>の時代、1911年頃、ピカソはキュビズムの活動の頂点を極め、そして不安に駆られてしまいます。
そのきっかけが「カーンワイラーの肖像」。
《カーンワイラーの肖像》1909-10年 油彩 カンヴァス
シカゴ美術館所蔵
ちなみにこの人がカーンワイラーさん
見ての通りですが、ばらばらに分解し人間の形を破壊、奥行きも人間らしい量感をはじめ、個性や感情を排除して、平面的に均一化してしまっています。
これも実験結果のうちの一つであり、ピカソにとってもキュビズムにとっても結果としては成功し、傑作となったわけです。
が、その作品が完成した後、ピカソは次第に不安を感じるようになり、落ち着かなくなりました。
つまり。
文字通り、人間の形を破壊して個性を排除してしまったので、絵画を描いているのだけれども、作成過程でそのモデルを尊厳ある人間の存在から貶めている、ような。
そんな呪術にも似たような行動を繰り返し、知り合いにぶつけてしまっているわけです。
言霊ってありますよね。
鏡を見ながら毎日自分のことを「今日もかわいいね」って言葉に出すと、それが耳から入り、実際に可愛くなるという。私は別にやってません。
今は良い例を書きましたが、その逆もまた然り。
フォルムの分解による破壊がピカソ自身にもふりかかってくるような不安に襲われたのです。
ピカソがキュビスムによる自画像を一枚も描かなかったのは、おそらくそのためだといわれています。
ブラックの肖像を描くときでさえ、ブラックに似た男をモデルに使い、じかに本人を描くのを避けたほどです。
正直ここまでやらかしたんだからハートを強くもってよとも思ってしまうのですが、
ピカソ自身、協力者はいたものの、かなりぎりっぎりの精神力で活動を続けていたと思います。
既成の概念を変えるためにも、強烈なイメージをもって、世間に混乱と衝撃とを与えたいとピカソは考えていました。
ちなみにですが、この世間というのは、これまで相手にしていた高尚な趣味をもつ選ばれたパトロンのような人々だけでなく、もっと多くの鑑賞者、大衆を指しています。
となると、芸術という分野の中だけの価値観ではとどまらずに、その時代の社会の価値観をも変えようとしていたわけです。
そうなるとやっぱり徹底的な過去との断絶は、世間から切り離されることになるので、まだまだ若い(30歳とか?)ピカソにとってみれば、命綱が切れたみたいに不安で恐ろしいものだったと思われます。
ちなみにですが、この時点でキュビズムの活動は4年目くらいに突入するのですが、相も変わらず、民衆、コレクター、同じ画家の仲間たち、批評家などなどから批判受けまくってます。
この時代の超有名な美術商のヴォラールはこんな言葉を残しています。
(この人セザンヌ、ゴーギャン、ピカソなど超超有名な画家を後援し、個展を開かせたりしてまだ無名の画家を世界に知らしめた人。この人が評価しなかったらもしかしたら何人か無名のままで終わってたかもしれない)
「正直に言って、キュビスムを理解したことはないし、いまもって何なのか分からない。キュビスム初期の肖像を見て、ピカソに尋ねてみた。お母さんがキュビスムの姿になって現れたら、君はなんと言うかね、と!」
この言葉をかけられたピカソは、根気よく活動について教えようという熱意をたちまち失ってしまい、それからというもの、理解を示さない者をほとんど相手にしなくなりました。
繰り返しちゃいますが、結局作品は実験結果の副産物なんで、作っている本人としては目的を明確に意図して作ったというよりは「できちゃった」感があるので、「作ってる本人もわけもわからずに毎回試行錯誤してんのに、しらねーよ」という感じだったんでしょうかね。
ちなみにWikipediaでは、ピカソってこのヴォラールさんのこと嫌いだったって書いてありました。わぁ100年後にもまだ残ってるってこわい。
ただ、この1年後くらいものすごい転換期が訪れます。
イギリスの評論家ジョン・ミドルマン・マリーがこんなこと言ったんです。
「率直に言って、私はピカソを理解する振りをしたり、ましてや彼を称賛するふりをしたりはしない。私は彼に畏敬の念を抱いている。多くのことを知りすぎているために批判もできず、あまりにも無知なために称賛することも出来ず、ただ傍観しているだけだ。ピカソを称賛するためには、口先ばかりの世辞ではなく、深い理解が要求される。」
こちらですが、これまでの批評とは全く異質なんです。
ようは、これまでの価値観でもって視点でもって批評をせずに、また良い悪いという判断を下さずに、ただただ活動を受け入れ、そしてその活動をしていることの意味、重要性を知り、頭を下げたのです。
そしてここからが大変。
この衝撃的な評論ですが、この方は「畏怖」するとしかいってないのに、
それを読んだ多くの大衆は「こんなすごいひとが認めた!ってことはこのキュビズムってすごいんだ!」っていう理由で手のひら返して、キュビズムを称賛する流れに変えてしまったんです。
そこからキュビズムは劇的な変化を遂げてしまいます。
言い方は悪くて語弊があること承知で書きますが、二番煎じのキュビズムがこの後横行してしまうのです。 わーなんか現代でもその流れ見たことあるー。
その流れを作ったのが、サロン・キュビストたち。
この人たちはどんな人たちかというと、簡単に書いてしまうと、キュビズムに興味を示した画家たちがその外観的な、たまに概念的な手法を取り入れて描いた作品を、各国のサロンや公募展に出展して I am Cubistっていっちゃう、ちょっとイタイ人たち。
中には、ピカソ、ブラックの作品も知らずに名乗ってる人もいたらしいです。こわい!
ちなみにですが、本物の?ブラックやピカソの活動はあくまでも議論が主体であって、作品自体もカーンワイラーの画廊のみ、限定的にしか出展していません。
サロン・キュビストたちはこれでもかというほど社会に対して活動的でした。
独自にキュビズムを看板にした展覧会を開いたり、サークル作ったり、キュビズムについてメディアに対して語ったり。
そして何よりもやりすぎ!なのが、ブラックとピカソの2人の活動とその作品には全くふれずに、2人の計7年にわたる議論とそこから生まれた作品を外的に読み取ったエッセンスを「キュビズム」として断定して書籍化し、学術的に定義して社会一般のキュビズムに対するイメージを作り上げてしまったのです。
もちろん、この活動にはピカソとブラックの存在は皆無です。
キュビズムの抜け殻が、「元祖」の看板を掲げて一人歩きして、我本物なりと声を大にしてその存在を社会にアピールしまくっていたわけです。
ただ、もちろんこんな無法者の集団の中にもまともな人はいて、しっかりと2人と話し、正確にその活動について記した論文を発表した人もいます。
また中にはキュビズムを思考の原点として踏み台にし、自身の作風を確立して大成した人もいます。マルセル・デュシャンもその一人です。この作品を知っている人も中にはいらっしゃるんじゃないでしょうか?
<FOUNTAINE> 1917
見まごうことなき男性小便器です。彼はレディメイド(既製品)をそのまま、もしくは若干の手入れをして芸術作品として展示し、既成概念の破壊に努めました。ちなみに一番大事なのは、マルセル自身がこのトイレを美しいと感じたことにあるとのこと。素敵なカオス。
まとめると、サロン・キュビストは、「キュビズム」を世間一般に広め、議論を呼び起こし、更なる拡散には成功したのですが、その活動の根幹は本家本元に残したまま、活動の結果はかなり遠く離れた他者に渡ってしまい、形骸化が進んでしまいました。
とある批評家は社会現象にまで広がってしまったキュビズムに対して次のように苦言を述べています。
「誰も彼もが、簡単にキュビスム的な作品を作り出すようになった。キュビスムは、技術という歯止めがなかった。アカデミズムのように、デッサンに苦しむ必要もなく、印象派のように感受性を磨く必要はなかった。まったく技術の必要のない絵画であった。必要なのはわけのわからない理論で、相手を翻弄できるかどうかだけであった。」
こんなこと言われたら、活動の原点であり頂点でもあるピカソ大先生も怒るにきまってる。
実はだからこそ、ピカソのキュビズムは終焉を迎えてしまったのです。
ピカソは、人間内部の存在を表現するためにキュビスムを発明したのにも関わらず、現代の若い画家はマニュアルをもって学ぶ学生のようにキュビスムに参加してくることを、非常に忌み嫌っていたようです。
4年後の1920年にキュビスト主催の展覧会への参加を依頼されますが、拒否。
そのことをキュビズムに対する裏切り!不実!とまで言われてしまっています。
ただピカソの言い分がめちゃくちゃ格好いいんです。
「同じものをいつまでもやっていても仕方がない。過去にはもはや興味がなく、自分の古い作品の真似をするくらいなら、他人の作品を真似したほうがましだ。少なくとも何か新しいものを付け加えることが出来るだろう。何しろ私は新発見が大好きなのだ。」
ピカソはその言葉の通り、更に別の時代でもって様々な技法、概念の生成に取り組み、作品を作り上げていき、世界各国で評価される巨匠になりました。
これでやっとやっと、ピカソのキュビズムについては終わりとなります。
が、書き終えてみて、このキュビズムの始まりから終わりまでの流れって現代でもよく起こることだなと思いました。
小さな空間の中で膨大な熱量でもってできたものは、ひらかれた世界で多くの人の手に渡った時に、様々なフィルターをかいくぐってしまって、そのものの形なのか要素しか残らないことが多い。
ただそのものが拡散するときには必ず、作り手の熱量に対して強い共感を得た人がいたこと。はじめの熱量がなければ、人には拡散することができないこと。
それに気づかなければいけない。
それは言葉でも物質でも同じ。
悲しいかな、この手元にあるとき温かみは一切感じなくなってしまっているが。
また、ものが社会に出たときに、いつの間にか客観的と思われる評価がスタンプのようにそれに付きまとって、こっちが許可していないのにこっちの脳味噌にも押そうとしてくる。
ちょっと前まではまだわかりやすかった。
キュビズムの批判を覆したイギリスの批評家みたいに、代表者が責任もってスタンプを一つ平等に皆に押してくれたから。
その一様のスタンプに沿った形でものの効率化と簡素化が簡単に進められた。
けど、今は色々なスタンプがある。それを皆が大小あれど持てるようになった。
そしてその中には正直目をふさぎたくなるようなものもある。
それは仕方ないことだろうと思う。
みんなが、同じカレーライスを食べて同じように辛いと思わないように、個人差があって仕方ないことだと思う。
色々な角度から物事が見れるのはいいことだとも思う。
けれども思ったのが、
これまで一様にスタンプを押し付けられることに慣れてしまっている人たちに、色々なスタンプがあることを教えてしまったら、実際にその人たちにそれらを押してみたら、どんな反応をするのか。
それがいいのか悪いのか、もしくはどちらでもないのかなんて判断をできるのだろうか?
低下した判断力を「多様性」の言葉でなんとなくごまかされて、片づけられている気がするのは気のせいだろうか。
本当の「良い」「悪い」の判断は「それもまたあり」とは違うし、下した熱量が全然違う。
単純な形骸化は進まずに、もっとグロテスクな形に歪められてしまうこともあるのではないのか。
となると、一周回って、もう正直多くの他人の意見なんてどうでもよくなってくる。
結局は自分の中にきれいな一本筋が通っているかどうかだ。
それが自身の判断力を育てる、つるを上に這わせるための支え棒になる。
もしくは価値観は異なってもいい、それがキュビズムという新概念と、写実性を軸とした旧概念であっても、互いの守らなければならないものをもって、がちんこでやり合えばいい。
批判し続けた批評家と、それに対して研究を続けたピカソとブラック。
この同じ熱量をもった2項対立のほうが、その後のキュビストたちによる混乱と拡散よりももっと健全なんだろう。
だからキュビズムは今もなお現代に残り、その対立の中で研ぎ澄まされた作品たちは今でも私たちの心をつかんで離さない。
頑固で強いっていわれる私だが、もうちょっとだけ強くなりたいんです。