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アラサーOLがアートでアレコレやってみるブログ

ブログ名変更しました(再)。アート初心者大歓迎! アートの面白さをナナメ上の視点から追求していくブログになります。

「男性器が凶器に見える」 私は春画にエロスを感じない

春画を初めて見たとき、私の中で複雑な感情が入り混じった。「これはエロなのかアートなのか」と。

自分の中で中途半端な気持ちが、疑問と共に湧き上がった。

 

というのも、視線はがっちり局部を捉えつつもエロスに対する興奮は覚えず、局部の余りにもグロテスクともいえる見た目に、浮世絵として最高峰の彩色技術が使われているにも関わらず、アートとしての感動さえも微塵に感じることはなかったのだ。

そして果たして現代においてこれは人々の性欲に呼応する媒体になりうるのだろうか。

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春画、浮世絵に対しての知識はなく、ネットで得た知見を溜めて吐き出すだけにはなるが、どうやら春画は武士の戦での、商人には災難除けのお守りとしても用いられていたという。 性交の本来の目的でもある子孫繁栄、強い生命力からくるものなのか。

それがいつしか花嫁のための性教育本として活用され、出張本屋によってエロ本として庶民に広がったそうだ。

 

人の性欲を発露させるためのものとしても活用されただろう。しかし、現代に生きる私から見たら、先ほど述べたように全くといって性欲が湧かない。

男性の友人と春画展に訪れた際、鑑賞し終えたらちょっとエッチな雰囲気になってしまうのではないか? と危惧したものだが、一切そういったものはなかった。

何故なのか。

 

いくつか要因が考えられる。

 

まず人物描写だが、春画に描かれている人物の見た目は日本を代表する絵画・浮世絵に登場するそれであり、俗的なエロ本とは対照的な出版物の教科書で見たものである。そのため平日の昼という最も理性が働く時間に見させられていたその人物像を目から脳へと情報を伝達したところで欲情には歯止めがかかってしまう。

ここで気付くが残念ながら私は、教科書に掲載された歴史上の人物画像で自慰行為にふけるような上級者として育てられたわけではなかったのだ。

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 葛飾北斎 ついの雛形 「炬燵の中で」

そしてどうしても着目してしまう局部だが、これがまたこの世のものとは思えない描写がなされている。男性性器の竿の部分が波打つ脈を表現しているのか、縦線が入り、ねじられた雑巾のような歪な形をしているのだ。

そして当時の日本人の小さな体躯からは想像できないくらいにデカい。もうその凶器で以ってあれやこれやをされると思いを馳せたところで恐怖しか浮かばない。

女性は初めて殿方の性器を生で目の前にしたときのことを思い出してほしい。

それはゲームに出てくるサンドワームのようで、当時の私は「案外グロテスクだな」とも思った。これだけ主義主張を大声でわめき散らす私が粛々と目を見張り、口をつぐんでしまうほどだったのだ。

今でこそ経験を積み、見慣れてしまったものではあるが、心も身体も清らかであった頃に感じた危機感というものを春画に描かれた男性性器に覚えてしまったのだ。

 

しかしこれでは、あくまで個人的な感想に留まってしまう。
では春画をもう少し客観的に見たところでどうだろうか。

気になるのはその体裁である。

というのも、春画は情事のワンシーンが描かれ(大体が生殖器同士の出会いのシーンである)、その余白部分に絵画の登場人物のセリフと情景のナレーションが描かれている。
具体的に何が書かれているのか、富嶽三十六景で有名な葛飾北斎艶本「喜能会之故真通」の中にある木版画「蛸と海女」を見てみたい。

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大ダコのセリフだけ抜いてみる。

 

大蛸:いつぞハいつぞハとねらいすましてゐたかいがあつて、けふといふけふ、とうとうとらまへたア。てもむつくりとしたいいぼぼだ。いもよりハなをこうぶつだ。サアサア、すつてすつてすいつくして、たんのふさせてから、いつそりうぐうへつれていつてかこつておこうか。

 

(いつかは、いつかはと狙いすましていた甲斐があって、今日いう今日、とうとう捕らえた!(一部艶めかしい単語があるので現代語訳省きます)さぁさぁ吸って吸って吸い尽くして、堪能させてからいっそ竜宮へ行ってヤってしまおうか)

 

まぁしかしセリフが長い。
私は女なので余り現代のエロ雑誌や漫画の体裁には詳しくないが、想像するに一枚の写真、もしくは一コマにおいてこんなに長いセリフがあることはないだろう。

というのも、図を捉える目線と、文を追う目線を同時に行うことができないので、大体一画面には文字を図として捉えるような短い単語が記載されているのではないだろうか。

ここで例としてエロ雑誌の1ページを掲載するにはいかないので、ジョジョの奇妙な冒険の一場面を出してみる。

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これだともう「ドドド」という効果音と、「無駄無駄無駄」のセリフは文字ではなく、図形化してしまっている。だからこそ文字数が多くても一発で目に映りこむ。

何故か。

それは視覚を画像に集中させて、人の欲情による想像力を膨らませるから。

要はその体裁を取られていない春画は現代人にとってみれば、ママのお膝の上で読み聞かせてもらった絵本と一緒なのだ。長い文があって一枚の絵がある。

読み聞かせならば聴覚と視覚を同時に使えるが、春画をママのお膝の上で朗読してもらいたいだろうか。そういうプレイもあるかと思われるが、私は遠慮したい。

 

春画の文だけを切り取って官能小説、もしくは画面だけ取り出して妄想を膨らませればおそらく現代の人も何かを満たせるかもしれない。

 

まとめると春画

・今ではなじみのない歴史的な人物描写

・行き過ぎた局部の描写

・絵本スタイル

の3点が現代人にそぐわず、エロ描写としてなじむことがないのだろう。

 

しかし私が訪れた春画展では来訪者はまるで強制されているかのように、ただただ、春画を静観していた。
江戸時代の人々の遊び心を取り入れられ、春画は艶かしい性行為を面白おかしく描写しているにも関わらず、展示会の場の空気で矯正されているかのようだ。
葛飾北斎艶本のオチのほとんどが「相手男性の腎虚(幾度も果てすぎて射出するものが枯渇する病気)による死亡」なんて肩を震わせて笑えるものなのだが、本当に残念だ。

艶本春画がエロ本として現代で機能しなかったとしても、それら特有のあっけらかんとした空気感とそれを楽しもうとする気楽さはぜひ伝わってほしいものである。