ヘレン・シャルフベックの作品から考えるオンナゴコロとやら
こんにちは、ゆきびっちです。
最近の写真が余りにもなかったため、先日の飲み会でフローズンマルガリータ大をのんだときのを。
うまかった。
先日、東京藝術大学大学美術館にて開催されている「ヘレン・シャルフベック―魂のまなざし」展に行ってきました。
実は今回、美術館は初めて訪れる場所ですし、画家自身も知らなかったので、行くか行こまいかかなり迷っていました。
で、実際に行ってみてどうだったかというと
マジで行ってよかった
行くって決断した私が天才すぎる
です。
最初に見た作品から、ヘレン・シャルフベックの世界にどっぷりハマってしまいました。
今回の美術展は、日本でも初のヘレン・シャルフベックの大回顧展。
ただ、正直、彼女の名前は聞きなじみないと思いますので、簡単に説明しますね。
≪フィンランドの天才女性画家 ヘレン・シャルフベック≫
ムーミンや家具のイケアでおなじみのフィンランドですが、美術で有名な方はなかなか思い浮かびません。
「フィンランド 画家」でググっても、ウィキペディアでも6-7人のお名前しか出てきませんでした。
しかも、何故かそのリストにヘレンの名前が入っていないから不思議 笑
そんな彼女ですが、実は絵画の天才だったといっても過言ではないかもしれません。
ヘレン・シャルフベック(1862―1946年)は、11歳のときに既に絵画の才能を開花させていました。
11歳の彼女の描いたデッサン(素描)は当時活躍していた画家アドルフ・フォン・ベッカーに認められ、ヘレンは無償で素描学校に通うこととなります。
絵を描くレベルが、小学校の絵画コンクールでの金賞とはわけが違うのですよ。
残念ながらその当時のデッサンは残っていませんが、ヘレンが18歳で描いた絵がこちら。
≪雪の中の負傷兵≫1880年
どこが素晴らしいって、とりあえず18歳という若さにも関わらず絵がうますぎると思いませんか?
そのほかに画面の中にドラマチックなシーンが表現されています。
中央の兵士が負傷したことに打ちひしがれ、茫然としている様子が生々しく表情に、その虚ろな目に描かれています。
そして、右のほうに人の集団が描かれていますが、彼らがこの負傷兵を置いていったか、助けに来たのかはわかりません。
彼の未来が絶望か、希望かは見ている人に委ねられています。
この一枚の絵の中に、空間だけでなく時間的な表現も表現されているのです。
何度も言ってしまいますが、18歳という若さでこれだけの表現力を手に入れられたことは天才といってもいいんじゃないでしょうか?
私の18歳なんて、友人たちが○○大学の何学部に行きたいとか具体的な進路相談をしている中、担任の先生に「写真家になってビッグになりたい」って言って困らせていたくらいです。
先生、あのときはごめんなさい。
ただ、ここでひとつ疑問に上がると思います。
それは、彼女が長いアート・シーンの中のどこに当てはまるかということ。
これまで私が画家のことを説明するときに、「何年代に活躍した○○主義の画家」とお伝えしてきましたが、今回はそれができません。
というのも、彼女は生涯を通じて、多くの画家の作品からインスピレーションを受け、そのたびに画風を変えてきたため、一つの流派に収まることがなかったのです。
そしてそれこそが彼女の魅力でもあります。
今回の回顧展で、私自身初めて女性作家のみで構成された美術展を見たということもありますが、随所にヘレン・シャルフベックの「女性らしさ」を感じました。
先ほどお伝えした彼女の作風の変遷は、回顧展の見どころの一つとして挙げられていますが、その変遷の裏には彼女のオンナゴコロが隠れているように思えてなりません。
ということで、今回はヘレンの作品を通して、女の私でもわからない複雑怪奇な「オンナゴコロ」をひも解いてみようと思います。
<オンナゴコロ その1:
流行を取り入れたい。けど、自分らしさもつくりたいオンナゴコロ>
ヘレンは常にその時その時のアート・シーンの最新情報を取り入れて、作品を制作していました。
先ほどの≪雪の中の負傷兵≫のように、初期の作品はリアルに描く現実主義でしたが、その後、18歳のパリ留学時に見た作品にならって多くの作品を描いています。
下の作品でいくつか、影響を受けた画家とヘレンの絵を比較してみました。
左:≪赤いりんご≫1915年 /右:セザンヌ
左:≪カリフォルニアから来た少女I≫1919年 /中央:モディリアーニ /右:ピカソ
左:≪お針子≫1905年 /右:ホイッスラー
左側が全てヘレンの作品で、中央・右側が影響を受けた画家の作品。全て、モチーフや絵の構図が似ていて、これらの作品からインスパイアされて創作していることがわかる。
まるで女の子が、季節ごとに流行のファッションに着替えるように、作風をどんどん変えています。
ここまで分かりやすく、それぞれの画家の特徴を入れられると訴えられるんじゃないかと思ってしまいますが、あくまでもヘレンは描き方を進化させていくためにそれらを取り入れていたのです。
ファッション雑誌のお決まりの文句「流行の中に自分らしさを残して☆」がまさにこんな感じじゃないでしょうか。(批判はしていません。私もよく使います。)
<オンナゴコロ その2:
同性の「女性らしさ」に恋い焦がれてしまうオンナゴコロ>
ヘレン・シェルフベックの作品のインスピレーション元は、彼女が選んだ身の回りの人物モデルにあり、彼女の作品の多くは人物画です。
その作品の中で私が何よりも気になったのは、人物の描き方の変化でした。
回顧展の作品しか見ていないので違っているかもしれませんが、
40代までモデルは老若男女問わず、人物の顔のしわまで再現してリアルに描いていましたが、
50代からほとんどモデルは若い女性になり、その顔の描き方は簡略化されてしまっています。
その簡略化の中で、女性らしさの象徴のようなくちびるを目立たせるように描かれているのです。
≪教会へ行く人々≫1895-1900年 (ヘレンが30代半ばの頃の作品)
≪サーカスの少女≫1916年 (ヘレンが50代半ばの頃の作品)
同じ作家が描いてるとは思えないくらいの変わりっぷりですよね笑
ヘレン自身の心理的な変化を妄想してみると、こんな風に考えられます。
40代までは彼女が人物そのものに興味があり、モデルの彼女ら彼らの様子を受け入れて、そのまま描いていました。
ですが、50代になって久しぶりに彼女自身が恋に落ちて女性らしさに改めて目覚めたこと、
そして、加齢によって自身の老いを感じて、若い女性の女性らしさに憧れ、恋こがれたこと、
この二つのオンナゴコロが、新たな創作意欲をくすぐったのかもしれません。
私も最近何人かで飲んだ際に、年下の女の子がオジサンたちとキャッキャッしている様子を見て、「もう私はお呼びではないのか」とお役目御免を噛みしめる一方、
「なんでこっちには来ないの?(お姉さんと遊ぼうよ)」
というオジサンに対する嫉妬が生まれました。
自分でもその気持ちの持ちようの変化には、ひと皮むけたなという印象です。
女はいつまでもセンターにいられるとは限らないらしい。
<オンナゴコロ その3:
恋愛はモチベーション。失恋も怖いくらいモチベーション。>
よく画家の作風の変化に、画家自身の恋愛の様子が挙げられますが、ヘレンの場合、どぎついものが紹介されております。
一つ目は、20代前半で留学中にイギリス人画家と婚約したにも関わらず、帰国後一方的に婚約破棄されるというトラウマ級の失恋エピソード。
二つ目は50代でヘレンのファンだと近づいてきた19歳年下の画家に恋をしますが、彼は旅行先で出会った若い女性と婚約してしまい、ミイラ取りがミイラになって大撃沈してしまったエピソード。
本気で可哀想。
そして没後も、海を越えて語り継がれるというこの地獄。
とはいえ、失恋によって作品が生まれているのは事実。
≪ロマの女≫1919年
ロマは遊牧民であるジプシーのことですが、ヘレンの不安定な恋愛の様子を、安住する場所がない彼らの姿に写しているように思えます。
そして背景に絵具を乗せた後に一部を削り取ることで、画面の中のロマの女性の悲しみに暮れている様子を引き立てています。
こちらは二回目の大失恋の後に描かれたものですが、怖いエピソードがついています。
彼女はこの作品を仕上げた後、失恋相手である男性にこの作品のことを手紙で伝えています。
「(この作品に描かれた)一人の子供のような存在の彼女は、自分にとって一番大事な人を誰かに取られたとき、大きな声で泣くのです。」
こわい。
わざわざ自分が失恋して泣いているという実況報告を絵画に変え、文字に変え、失恋した相手に伝えているのです。
現代のSNSでもたまーに見かける「私こんな可哀想な目に遭ったの(だから皆、私を慰めてね☆)」というアピール投稿と同じですね。
まぁでも誰でも一回くらいそんなアピールやったことありますよね。
あれ、ない?あたしだけ?
ちなみに美術館で音声ガイドを借りると、女優の小林聡美さんの声で先ほどのヘレンの手紙の内容が再生されます。
耳元でこの言葉を聞くと、稲川淳二の怪談並に戦慄します。
<女の人って醜いよなぁ>
こちらはヤマシタトモコ先生の漫画「HER」の最後の話で、男性が彼女?にぽろりとこぼしたセリフです
いやー本当にそう思います。
というのもの、色々なことを同時に成立させたいと思うのがオンナゴコロだと思うんです。
先ほどの「HER」の彼もこんなことを言っています。
「女の人って男よりよっぽど色々両立できるのに取捨選択しない…ていうか優先順位つけないよね 欲ばりっていうか」
それに対して彼女?が「だって女だもん」って言ってのけます。
このようなことを書いて、じゃぁ男は女に対してこうしたほうがいいとか、女はこうあるべきだとか、女は皆オンナゴコロをもっているとか言う気はないです。
あくまでもヘレン・シャルフベックの作品を見たときに感じたのは、こんなオンナゴコロであり、私もそれに共感したという話。
ただ正直、ヘレンの作品を鑑賞していたときに、描かれた作品はどれも好きなんですが、彼女が自分の知り合いにいたら、ちと苦手かもしれないとフト思いました。
ヘレンも私も抱えるオンナゴコロは可愛いらしい反面、後ろにはドロリとした、見てはならないものが隠れている場合があります。
彼女を苦手かもしれないと思ったのは、彼女が純粋で素直な故に、作品でも私生活でもそのドロリを表に出しそうで、それに当てられるのがこわいから。
失恋のエピソードが一番顕著じゃないかしら。
純粋な恋心からくる悲しみはいいとして、恨みつらみの猛毒は表に出さないで!
もちろん誰でもドロリが出してしまうことはありますが、それを出しすぎて積りに積もってしまったとき、女性はオンナゴコロを濁らしてしまって、老いてしまうんではないでしょうか。
エンターテイメントにならない、人の悪口や愚痴はドロリの一種。それを発している人の顔はババアです。
オンナゴコロを可愛らしい、美しい状態を保つためのモチベーションは具体的には何なのかはわからないけれども。
一つは各々の美意識なのかもしれない。
それは仕事の達成するための美意識、恋愛の充実をはかるための美意識、それこそ自身の美しさを保つための美意識。
どこかでその美意識が崩れてドロリが出てしまったときに、オンナゴコロは崩れるかもしれないと思いました。
ヘレンは失恋によって、一つの美意識が崩壊してしまったのかもしれませんね。
ヘレン・シャルフベックの世界にどっぷり浸かってしまったからこそ見えてきたオンナゴコロの秘密の部分。
回顧展は東京での開催は明日の26日までですが笑
その後、仙台、広島、葉山と回るらしので興味をもって頂いた方は是非足を運んでみてくださいね!
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