愛あふれる、モネの≪睡蓮≫を再現した花サラダを食べたら不味かった話
こんにちは、ゆきびっちです。
さりげなく改名しましたが、「ゆき」という名前が多いため、皆さんに素早く私を見つけてもらえるように変えてみました。
変更の由来は秘密です。うふふ。でもビッチではないですよ。多分。きっと。
そんなゆきびっちが冒頭からしっぶい顔をしていますが、この理由はまた後ほどに。
突然ですが、私は印象派の画家・モネの≪睡蓮≫を愛しすぎています。
パリにある360度≪睡蓮≫で囲まれることができるオランジュリー美術館に行ったときは泣きそうになりました。
とりあえずモネについて語らせてください。そして若干テンションが高いために長文です。
≪印象派とは?≫
モネは19世紀から20世紀初頭までフランスで活躍した印象派の画家です。
そうはいっても印象派とはなんぞやとなりますよね。
「印象派」をざっくりと説明してしまえば、その名の通り、画家がその物事や風景を捉えたときの印象を描く芸術活動です。
例えば皆さんが友人の似顔絵を描くとき、その人が目の前にいなければ、ぱっと思い浮かぶその人の髪型、表情、体型や雰囲気など、その人から普段感じ取っている印象を頼りに描いていきますよね。印象派はそちらと似た描き方をします。
中学からの親友に描いてもらった私の似顔絵。描いてもらったとき、「大人になって特徴が薄くなった」と何故か怒られた。
ただこれだけの説明だと、「印象派は何て雑な描き方をするんだ!」というお門違いな批判が聞こえてくると思うので、その人たちには口をつぐんでもらうべく、次はモネの作品を見ながら印象派の特徴をお伝えしたいと思います。
※念のため補足:印象派の反対は「写実派」で、その対象のありのままを描く芸術活動になります。ただ、写実主義は≪モナリザ≫が生まれたルネッサンス時代に成立した、西洋美術の基本的ともいえる伝統的な芸術活動のため、「写実派」として芸術活動する作家はいません。皆さん基本を写実主義でもって学び、それぞれの描き方を模索していくのです。
≪人の目のレンズで捉える世界を描く印象派≫
≪睡蓮≫は1897年頃からモネが亡くなるまでの約30年間、200点ほど描かれています。それほどまでに何をモネが描きたかったのかというと。
睡蓮が浮かぶ池、ではなく、その池から見て取れる、時間ごとに移り行く光と色でした。
同じ構図でもそのときの気候条件によって色の出し方や表現方法がまるで違います。
現代でも、人の目は現存するどのカメラよりも精巧にものを映し出すといわれていますが、印象派は人間の優れた目の動きや働きを、彼らの芸術活動において重要視していました。
ですが、これでは対象のありのままを描き出す写実主義との違いがよくわかりませんよね。
どっちも同じように対象を観察するときに、目を酷使するじゃないかと。
その違いは、池そのものを描くか、もしくは画家が見ている池を描くかの違いにあります。
≪睡蓮≫1919年
例えばいつもと同じ朝の光を浴びているはずなのに、なんだか今日はすっきり目覚めて朝日が気持ち良い!と感じる日はありませんか?
そのとき大げさにでも「世界って素晴らしい!!全てが輝いて見える!」ってなりませんか?まぁその逆も大いにありうるのですが。
人間の目のカメラはもちろん、繊細に変わる気象条件にも反応してしっかりと対象を捉えてくれますが、それ以外にも幸か不幸か、自分自身の精神状態によるフィルターを目のレンズにかけてしまいます。
そしてそのフィルター越しに見える対象が「印象」なんです。
ただその対象、睡蓮の花や池の様子を見たときに感じる印象は描けばいいのに、なんで「光や色」に注目するの?という疑問もありますが。
変化する光も色も、カメラのフィルターの一種だと考えてみてください。
睡蓮の花が朝日の光と夕方の光に当たるのとでは全く印象が異なります。
わかりやすいように身体を張りましょう。
がちすっぴんでもフィルターのあるなしで印象が全く違います。
正直こんな、すっぴんの顔をありのままに描かれたらこっちも商売になりません。
私の自撮りと同じように、様々な気象条件のフィルターによっておめかしした睡蓮とその池に芸術的な価値を見出し、描いていったのです。
ただし、人の精神状態も、お天気も不安定ですし、また季節によっても見えている風景の様子が変わっていきます。
その印象をしっかりとキャンバスに残すために、印象派画家たちはこれまでの描き方とは異なる描き方を確立させていきました。
≪パレットではなく、キャンバスの上で混ぜる色≫
描きたい絵が「超気分の良いときに見る晴れの日の朝の睡蓮の池」だとして、想像してみてください。
全体像を下描きして睡蓮の花の輪郭を描いて、絵具を混ぜ合わせて微妙な色を作ってとやっているとどんどん時間が過ぎてしまい、さぁいざ描き出すぞ!というときには日が暮れていますよね。そもそも疲れてしまって気分も下がってしまいます。
なので、画家は絵具をできるだけ混ぜて使用するのではなく、絵具そのままの色を次々とキャンバスに乗せていくように描いたのです。
モネの描いた睡蓮の花を見てみるとその様子が分かります。
白で睡蓮の形を描いたら、影や花びらの微妙な色合いを表現するために色を黄色、赤、青の色を塗り重ねていく。
近くで見るとかなり粗雑に見えますが、これを引きで見てみると立体的で繊細な蓮の花に仕上がって見えるのです。
これはテレビやPCモニターが色を再現するためのRGB3原色と似たからくりで、細かく隣り合った色の組み合わせによって人はそれらの色が混ざり合った色として知覚することとなります。
※RGBの説明:赤、青、緑の3つの原色を混ぜて、様々な色を表現する方法。
上の睡蓮の絵を引きでみるとこんな感じ。
≪睡蓮≫1897-98年
先ほどの粗く描かれた印象とは異なりますよね。
更に一回、目を細めて上の画像を見てみてください。
目の表面の水のフィルターが濃くなって、もっとリアルに花が浮き上がって見えます。
≪睡蓮の池≫1904年
池の周りを囲む草木と池の境界線はわかりますか?
わからない方は目を細めてみてください。水面に浮かぶ花が浮かび上がって、池の色が沈みます。実際にそこにある草木と、水面に映る草木は描く彩度を変えることで描き分けました。
うーん、ぞくぞくする。
モネや印象派画家の描き方は、輪郭をキレイに描くわけではなくドット絵のように色を重ねていくために、近くよりも遠目で見たほうがそこに何が描かれているかが分かります。
ただモネの場合、晩年白内障を患ってしまったために、その描き方が顕著になっています。
≪藤≫1925年
おそらく池の真上に垂れ下がる藤の花と、水面を描いた作品。
上の絵は画面右上らへんの藤の花をアップにしたもの。何を描いているのかさっぱり。
近くで見ると「ただの絵具が乗っているだけの絵」ですが、遠くで見るとしっかり絵が浮かび上がってきますので美術館で見た際は遠近両方で作品を楽しんでみてください。
また、今回のご説明で画家自身の精神状態が作品に反映されると書きましたが、半分本当で半分嘘です。
というのもオランジュリー美術館に寄贈された作品は4年かけて制作されていますし、その間ずっと同じテンションでいるのにも無理があります。
ただ、モネがその作品を描こうとしたときの気持ち、そして実際に描いているときの気持ちが複雑に混ざり合って、作品がどんどん進化していったという風にも考えられます。
なので、半分本当、半分嘘です。
さて、いかに私が愛しているかお分かりいただけましたか?
まだ書き足りませんが、ただそんな愛の言葉を連ねるだけでは、夜の町にはびこるナンパ師と同じなので、しっかりと愛を体張って表現してみたいと思います。
やってみました。若干唐突な感じはありますが。
≪モネの≪睡蓮≫への愛を表現するために、
食べられるお花で≪睡蓮≫を再現して
作品まるごと食べてみることにした≫
こちらが食べられるお花 = エディブルフラワーになります。
エディブルフラワーの説明云々については、次回のおまけブログにて解説したいと思うので、とりあえずお刺身の横にある食べられる菊の花と同じ種類と思ってください。
ちなみに再現しようとした作品はこちら。
≪睡蓮、雲≫の一部 1920年‐26年
細かい作業はできないと判断したため、晩年の抽象的なものをチョイス。
でもモネが描いていたのはお花じゃなくて光と色でしょう?というツッコミはやめてくださいね。そうしないと私絶食して1週間光合成しないといけないはめになります。
でもね。正直に言いましょう。
お花が届いた時点で、まず再現は不可能だろうと判断しました。
だって、青系の花をオーダーしたのに届いたお花が全部紫系なんだもん。涙でちゃう。
かといってちゃんと青が届いても完璧に再現できたかはなぞだけど。
さて、この花を下ごしらえして、ベビーリーフでかさを増したタッパーの上に花びらを丁寧に乗せていきます。
地味な作業。
できたのがこちら。
うん、モネと違う。
そして別に仕上がりがオシャレになるわけでもなかった。
でもまぁいいや、とりあえず同じ花だし。
食べられればそれでいいんです。(なげやり)
しかし、よんどころなき事情により、そのサラダは当日食べることなく、冷凍され、次の日のお弁当となりました。
そしてこの決断が完全に間違っていました。
次の日蓋をあけてみると
しおれてる。
なんか汚い!!!っつか臭い!!!!
なんでーーーーーーーーー
どうやら、解凍したときに水分を花やベビーリーフが全て吸ってしまいお浸し状態になってしまった様子。青臭い。
そもそもタッパーの蓋部分盛り上がっていたのに、全て水分で押しつぶされてしまっている。
覚悟して頂きます。ドレッシング等は一切つけておりません。
全ては愛のために。
ちなみに会社の同僚に一口おすそ分けしようとしたのに全力で全員に断られた。
顔が本気で嫌がってる。
フォークにつきささる塊感がすごい。
あぐっ。
お゛
あ゛お゛い゛
これは植物だ!!
草以外の何物でもない!!!
だれだ、野菜がなければ花を食べればいいじゃないって言ったの!!
そもそもエディブルフラワーって、食卓に色味や華やかさをプラスするためのものなのに、冷凍してしまったがゆえに、色味も華やかさも全て失ってしまっているのです。
残るのは草特有の苦みのみ。
花なんだからちょっとは甘味があるんじゃないのかと勝手に想像していましたが、そうでもないです。
一口目で若干ギブアップ気味だったので秘密兵器の大好きなバルサミコ酢を投入。
だけど色が更に汚濁しただけに。
あ、案外いける。
ん゛ そうでもない。
水分で葉も花びらも固まってしまっているために歯にくっつくは噛み切れないはで口の中にずっと滞留しているので青臭さがすごい。
やっと完食!!!
あまりの口の合わなさに顔が長くなってしまった!!!
※今回は調理方法(保存方法?)を間違えたために、くそまずいものを食べることになってしまいましたが、本来でしたらおいしく頂けるはずです。
ちなみにこんなに簡単な「やってみた」をやりやがってとお思いの方に訴えたいのですが、これだけの企画のために、あのサラダのためだけに5000円近く出費してるんですよ。
エディブルフラワーまじで高い。
そんだけのお金があったら、安い居酒屋で潰れるまで飲めるわ。
結局何がしたかったのかわからなくなってしまったのですが、とりあえず身体を張ったモネへの愛は通じたんじゃないかなと思っています。
お口直しのカフェラテにご満悦。
今度モネの≪睡蓮≫を見たときに、苦いお花の味を思い出してしまいそうで怖い。
それでは