PABLO PICASSO -1
正直に言います。
ピカソ嫌いでした。
私がまだ大学に入って専攻を美術関連のものに決定し、自分最強伝説に酔いしれている頃 (ただ単に頭が悪く怖いもの知らずのばかだっただけの頃)。
誰でも知っているピカソなんて王道いってどーするの!
同じスペイン戦争を題材にしているなら、Robert Motherwellのほうがマイナーだし、っつか知らないし、コンテンポラリーアートだしなんかカッコイイ!
Robert Motherwell, Elergy to the Spanish Republic, No.35 (1954-58)
Oil and Magna on canvas
(METにて個人カメラで撮影)
というあほな女子大生まるだしの感じでひどいレポートを提出しました。
ああ、
本当にあの頃の私を多摩川に放り投げてやりたい。
そのRobert Motherwellさんの話はまた後日にでも。
そして嫌いな理由も 「描かれてるこたち全員気持ち悪い」という、
漫画の食わず嫌いみたいな簡単な理由だったわけです。
ですがそんな私にも転機が訪れます。
3年のゼミのときに教授にそれぞれ美術作品を題目として与えられて課題を出されたのですが、それがピカソの「アヴィニョンの娘たち」でした。
Les Demoiselles d'Avignon (1907) Oil on Canvas
(MOMAにて個人カメラにて撮影)
まじか。すごくいやだ。逃げたい。
でもそれが3年のゼミの単位がとれるかどうかの勝負の課題だったので、取り組まないわけにもいかず・・・ しぶしぶと始めたわけですが。
これがはまるくらいに面白かった。
まずこの作品について語る前にほんのちょこっとピカソの特徴をお話します。
どうやら彼はギネスにも、一番多作の芸術作家として表彰されているように、約13500点の油絵と素描、10万点の版画、34000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を手掛けたのです。
美術展にいくと、
ん?これピカソ?ゲルニカっぽくなくない?意外とふつうの人描けるんだ!
ってなるような絵画があるように(失礼)、
Guernica (1937)
画像出展元:http://www.pablopicasso.org/guernica.jsp#prettyPhoto
ピカソは作風を何度も何度も変えて、自身の芸術性を高めていったのです。
その作風を、それぞれ「○○の時代」という風に読んでいます。
青の時代:1901-4
バラ色の時代:1904-7
アフリカ彫刻の時代:1907-8
分析的キュビズムの時代:1909-12
総合的キュビズムの時代:1912-18
新古典主義の時代:1918-25
シュルレアリスムの時代:1925-36
ゲルニカの時代:1937
晩年の時代:1968-73
ありすぎ。
これだけ見れば「なんて飽きっぽい人なんだろう」「女遊びもひどいんだろう」と勝手に巨匠を冒涜するような妄想を繰り広げられそうですが、
案外女性関係のことは諸説ありますが間違っていなさそうです。
話がそれました。
これだけの時代を短期間で完成させていくということは、飽きっぽいのではなく、それだけ思考が柔軟で次々と新しい技法を試していけるアイディアマンだったわけです。
注意したいのが、2015年から見れば100年前の作品ですが、その当時にとってみれば前衛的な現代芸術ということ。
またキュビズムを語る際に改めて話したいと思っていますが、
ピカソの芸術そのものに対して向かう彼の姿勢をみてみると、それぞれの時代というのは実験期間であり、作品自体は実験によって伴ったもの、生まれた副産物として考えたほうがもしかしたらピカソの作品にはぴったりかもしれません。
常に現代芸術の在り方を更新していったということになります。
そして確立したものが「キュビズム」という様式。
でもその始まりである「アフリカ彫刻の時代」は1907年、ピカソが26歳のときにスタートします。
ちょっと懐疑的な目で見れば、そんなに若いころから大成しちゃったの?という。
そしたらその前の、「青の時代」と「バラ色の時代」ではどんなことを考えてたの?ということに疑問をもってしまいます。
ちなみにこちらが「青の時代」の有名な作品。
La Vie(人生)(1903)
画像出展元:http://www.pablopicasso.org/la-vie.jsp
もうなんというか見ていられなくなるくらい悲壮感が漂っています。キュビズムのキュの字もありません。
これ描いたの22歳のときですよ。
よく画家は自身の精神状態を画板に投影させるといいますが、どれだけの苦しみや悲しみを味わえばこれだけのものを生み出せるんでしょう?
「ばら色の時代」の作品はこちら
At the Lapin Agile (1905) Oil on canvas
(METにて個人カメラで撮影)
色彩感が明らかに違いますよね。
そして人物を縁どる線にも違いが出ていることがわかります。
青の時代は(特に女性の体に注目ですが)背景に交じりそうなほど細く淡く描かれているのに対して、後の時代は黒い線で浮き出るようにはっきりと描いています。
力量が全然違う。
どうやら新しい彼女ができたことによってもろもろ変わったようです(本当)。
ちなみに青の時代のきっかけは親友が亡くなったことにあるそうです。納得。
あれ?
さきほど「ピカソの芸術そのものに対して向かう姿勢から、それぞれの時代というのは実験期間であり、作品自体は実験によって伴ったもの、生まれた副産物」と書きましたが、
その視点で何度も考察をしたり、調べたりしたのですが、
この青とばら色の時代には、のちのキュビズムで見られるようなそういった形跡がみられないんですよね。
ただ青の時代もバラ色の時代もその作品自体の完成度の高さ、魅力は本物。
ということは、画家自身の自然発起による感情やエネルギーがそのまま画板にぶつけられたと考えてもいいのかも?
ピカソは、ふつうだったら通過すべきいわゆる画家養成学校みたいなところを「自分には合わないっす」って抜け出してしまったので、その青年特有の暴れ馬みたいな粗野で乱暴だけれども純粋な膨大なエネルギーをアカデミズムの枠にはめられることはありませんでした。
それだけ書くとアナーキーな天才と捉えられそうですが、現代の3年間就職先に留まれない新社会人も同じことやっています。
青春の尾っぽを引きずっているときは誰だって考えは一緒!
それはともかく、社会の木枠に入れないならセルフコントロールで自転車操業するしかありません。
それぞれの時代にピカソ自身の転機が背景としてありますが、それがスイッチとなって彼のそのエネルギーを、モチーフ、その表情や肌の質感、筆のタッチ、色彩の出し方(アレンジの仕方)、構図、すべてに映しこみ、変化を遂げました。
ピカソの若いときは天才的な技術を持ち合わせてはいますが、意外とふつうの青年だったのかもしれませんね。なんか安心。
ただ「青の時代」で貧困だったのにも関わらず、
「ばら色の時代」が終わるころには世間にめちゃくちゃ評価されて、パトロンができて既に財をなしております。
2回書きます。
財を成しています。
そうして心とお財布にゆとりが出たために、自身の理解者であるジョルジュ・ブラックと新しい時代の芸術の在り方を研究したのでしょう。
やっぱり世の中お金ですね。
ってことで、長くなったのでピカソのキュビズムについて、「アヴィニョンの娘たち」については次回で。
お疲れ様でした。